曲を練習するだけがピアノレッスンじゃない!音楽教育学がこれまでのレッスンを変える

一昔前のピアノレッスンといえば、ハノンやバイエル、チェルニーなどの練習曲をひとつずつこなしていくもの、というイメージが強かったのではないでしょうか。
また、残ったレッスン時間で、バッハやショパン、ベートーベンなどが作曲した特定の曲を、作曲家について学んだり一音ずつ譜読みしながら上手に弾けるようになるまで練習して、先生から[合格]と言われたら次の新しい曲を再び一から練習し始める、といったレッスン内容が主流だったと思います。

今の時代のピアノレッスンは、ここから大きく変わってきています。さらにこれからもっと変わっていきます

今のピアノレッスンは、少しずつ、この「ひとつひとつの特定の曲を演奏できるようになる」という視点から「様々な曲を通して『音楽』そのものを学ぶ」という方向へ転換しつつあります。

どういうことかをご説明するため、まず、この変化を支えている、音楽教育学とは何か、について確認したいと思います。

 

目次

音楽教育学とは

ピアノレッスンと音楽教育学

音楽教育自体は、音楽そのものと同じくらい長い歴史があり、すでにエジプトや古代中国、古代ギリシャの時代にもしっかり存在していました。

あまりにも膨大な歴史なのでざっくりと概要だけまとめると、歌や詩そのものと一緒に、「音楽はこのように教える」という教えかたのハウツーも、国や地域ごとに代々伝わり、広がっていきました。

それらが19世紀終わり頃に音楽教育学という学問領域になって体系化されます。

それから今日まで、さらに心理学・社会学・美学・哲学・人類学・医学など他の学問領域とも結びつけられながら、なんのために/何を使って/どのように音楽の知識・理解・経験・専門性を伝えていくべきかについて研究しているのが音楽教育学です。

 

音楽教育学の3つの分野

音楽教育の分野は、大きく分けると下記の3種類があります。

  1. 楽器/声楽のための音楽教育・・・音楽学校や音楽教室などの音楽専門機関でどのような楽器/声楽のレッスンを行うか
  2. 早期/幼児期の音楽教育・・・小学校に上がる前の幼児に、どのように/どのような音楽経験を積ませるか
  3. 学校教育上での音楽教育・・・小学校から高校までの学校カリキュラムの中で、どのように音楽の授業を行うか

このブログを書いている私は、最初の留学先であるオーストリア国立モーツァルテウム音楽大学で、「楽器/声楽のための音楽教育」を専攻していました(楽器専攻はピアノにしていました)。

当ピアノ教室「杉並ピアノサロン」でも、この音楽教育学の「楽器/声楽のための音楽教育」分野の知見に基づいたピアノレッスンを行っています。→杉並ピアノサロンの様子はこちら♪

 

これまでの主なピアノレッスン

「輸入品」としての音楽

輸入されたクラシック音楽

ピアノレッスンというと、弾くのはほぼクラシック・ジャズ・ポップスあたりの西洋で生まれた音楽です。
なので、これらのジャンルの音楽は、世界中のどの国であっても、「これは素晴らしい演奏だ」「これはいまいちな曲だ」というような判断は、基本的には西洋の歴史や文化に規定された美的感覚によって下されます。

 

ここでちょっと思い出していただきたいのですが、明治時代に音楽を含めた西洋文化が日本に大量輸入される前、元々日本でポピュラーだった歌や曲といえば、どんなものを思い浮かべるでしょうか。

琴・尺八・笙・鼓で演奏される音は、コード進行があるわけでもないし、長調や短調のどちらでもないし、色々な楽器が一緒に演奏しているのにオーケストラのように指揮者がいるわけでもなく、「せーの」と一斉にタイミングを合わせて弾き始めたり弾き終わったりするわけでもないですよね。要するに西洋音楽と全然違う音楽です。

この西洋音楽の、「(音もタイミングも) みんなで合わせて行う」という考え方は、国民を一致団結させることや、士気や仕事・学業の効率を上げることを優先的な目標に掲げた日本の教育方針と、奇妙に合致するものでした。そのため、日本での音楽教育自体も他の文化分野と同様に一気に西洋化が推し進められました。

タイミングを揃えたり、より正確な音やリズムで演奏できるようにするための確実な練習方法といったら、やはり練習曲や反復練習に勝るものはありません。

さらに言えば、2000年以降に「ゆとり教育」が始まる前までは、暗記と反復が中心の「詰め込み教育」が教育現場ではメインストリームでしたね。

デュオや室内楽だったら「みんな一緒に、同じタイミングで同じ音を正確に」弾けるようになること、または単独演奏だったら「両手のリズムや音を揃えて正しく」弾けるようになること、またそのために練習曲をたくさんこなしていくことが念頭に置かれたレッスンがほとんどだったのは、このためです。

 

「即興」しなくなったクラシック音楽

正確性が高評価を集めるようになったのは、日本の教育方針だけのせいではありません。

現在でこそ、即興する音楽≒ジャズ と思われていますが、クラシック音楽の分野でも昔は即興演奏がとても盛んに行われていました。
バッハはもちろん、ベートーベンやショパンが即興に長けていたという逸話はたくさん残っています。

ただ、クラシック音楽というジャンルに限った話ですが、いくつかの理由から、即興演奏は現在クラシック音楽の表舞台からほとんど消えつつあります。(この理由については、また他の記事で触れる予定です)。

作曲者が書いた楽譜がどんなに複雑でも、それを正確に音で表現することが評価されるため、ひとつの特定の曲を完璧に演奏できるようになるためのレッスンや練習方法に焦点が置かれていました。

 

守るべき「楽譜」と「教則」の存在

楽譜に忠実に演奏する

決して、楽器の練習や上達のために反復練習は必要ない、と言っているわけではありません。とんでもない、むしろ必須です。
全ての勉強やスポーツ、語学と同じように、一定以上の練習、反復練習、復習を重ねなければ身体や指は動きませんし、頭に一度入っても記憶は定着しませんし、上達もしません。

大体、ピアノの反復練習の権化のような「ハノン」ピアノ教則本が生まれたのも、クラシック音楽の本場ヨーロッパで、「これがピアノレッスンには必須」と考えられていた時代があったからです。

「ハノン」と親しまれているこの教則本は、フランス人作曲家兼ピアノ教師のシャルル=ルイ・アノンによって作られました。正式名称は『60の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト』です。
この練習を続けるとヴィルトゥオーゾ、つまりピアノの達人になれます、という題名がついている教則本が目に入ったら、ピアノを上手に弾けるようになりたいと思ったことがある人なら思わず挑戦したくなりますよね。

このハノンで多くの反復演奏をさせる理由は「10本の指を細かく動かす体操」とか「ピアノを弾く体力をつける手の運動」ということもありますが、何より音形を把握させるため です。
この練習曲によって「音形」、つまりピアノ演奏や作曲、即興演奏をするための基本的な材料集めを行うことで、それらを実践の場で応用できるようになるとなかなか良い演奏家になれますよ、ということです。
応用する、というのは、他の実際の曲の中で似た音形が使われている箇所を見つけたり、または即興演奏の中に組み込んでみたりすることです。

このように、教則本は基礎や基本を確認するための方法であって、演奏に応用することを前提に使用するととても有意義ですが、実際に応用する機会がないと教則本だけ練習してもあまり上手にはなりません。

ただ、前述した項目でも述べた通り、クラシック音楽で即興演奏を聞くことは今ほとんどありません。特に、時代を超えて受け継がれてきた大事な楽譜に書いてあることは遵守して、全て楽譜通りに演奏しなければならない、という考えでピアノを教えている先生や演奏家も一定数います。

応用を前提にしないで教則本自体だけ練習したり、曲の基本的な構成要素はわからないけれどマスターするために練習する、というスタンスだと、同じ教則本を使って練習してもそこから受け取る印象やその効果はだいぶ変わってきそうですよね。

 

これからのピアノレッスンのキーワードは「共通項」

譜読みの上達はパターン把握

これまで、少し前までのピアノレッスンでは、「ひとつひとつの特定の曲を正確に演奏できるようになること」が主な目標になっていたこと、またそのために「練習曲をたくさんこなすこと」が必要だったことと、その理由について見てきました。

もちろんこれらは決して蔑ろにされるべきことではないし、当然ながらメリットもあります。

ただ、これからの時代のレッスンは、この「ひとつひとつの曲」をマスターすることにかけられていた熱意の比重が、徐々に「様々な曲を通して『音楽』そのものを学ぶ」ということへ移行していきます。

どういうことかというと、ある曲を上手に弾けるようになることだけに重点を置くのではなく、「音色」「リズム」「パターン」などのありとあらゆる楽曲に共通する「音楽の構造」「音楽を形づくる要素」の学を積み重ねながら、徐々に難しい曲に挑戦していきます。

このようなレッスン方法の重要性が今の音楽教育学によって提示され、その需要が世界的に高まっているのです。

このような学び方の良さは、「誰かに教えてもらわないとピアノが弾けない」ではなく、自分自身で考え、自分の力で音楽を楽しめる自発性と自立力を育むことにあります。実際には、色々な楽曲を聞いたり、弾いたり、歌ったり、比較したり、意見を交わしたり、自由演奏(即興演奏)したり、作曲したりといった多様な音楽体験から総合的にアプローチしながら育てていきます。

 

例えば、ニューイヤーコンサートで毎回演奏される、ヨハン・シュトラウスの有名な曲「美しき青きドナウ」を例に挙げてみましょう。

この曲を初めて紹介される時、従来のレッスンであれば、「この曲はヨハン・シュトラウスという有名な作曲家が作曲しました。ワルツの王と言われるほど沢山の舞曲を作曲した人で、この『美しき青きドナウ』もそのうちの一つです」
こんな紹介の仕方でしょうか。

今のレッスンだったら、「『美しき青きドナウ』はワルツというダンスの音楽です。あなたは他にもワルツを知っていますか?あなたが知っているそのワルツと、この『美しき青きドナウ』では、曲の雰囲気や速さ、リズムなど似ているところはありますか?また、3つの音を選んで、ワルツ(のメロディー)を自分で作ってみましょう」
こんな視点からスタートします。

このようなスタンスで音楽に接することで、3拍子のリズムや軽快な雰囲気を既存のレパートリーから受動的に学習するだけでなく、その意義や価値を知ることで「これは大事な拍だからはっきり弾こう」と自分で考えることができたり、「あの曲とこの曲は似ているから、ここももっと軽やかな感じになるかな」と自ら気づきを得たりしながら、音楽知識や音楽体験の点と点を線でつなぐことができるようになります。

 

まだ日本語ではそんなに数はないようですが、英語やドイツ語を中心に、自由演奏や即興演奏を始めとするアクティブラーニングを組み込み、自主性や気付きを促進するための自由度が高いピアノ教材もどんどん増えてきています。
例えば、私がオーストリア・ザルツブルクの音楽学校でピアノレッスンの教育実習をしたり、自分の生徒さんにピアノレッスンをしたりしている時からよく使用されていたピアノ教本のひとつは、日本でもおなじみの楽譜出版社ブライトコプフ/Breitkopf&HärtelのSplash!です(クリックするとブライトコプフHPの紹介ページに飛んで、ちょっとだけサンプルページが見られます)。

この本を含めたおすすめのピアノ教本やその使い方については、また別の記事でご紹介します。

 

また、オーストリアやドイツでは、少し前から、音楽大学の演奏学科を優秀な成績で卒業したとしても、音楽教育学科を卒業していない場合は音楽学校等の音楽専門機関で教師としてレッスンを行うことができないようになってきました。

音楽教育の専門家が音楽教育の現場を担うのは当然と言えば当然のことなので、これから先、このような変化の傾向はもっと強くなっていくことが予測されます。

 

総括: 自分で音楽を楽しめるようになることが大事

大人も子供も楽しいピアノレッスン

少し前のピアノレッスンの主流と、これからのピアノレッスンがどう変わっていくか、について見てきました。

前述したことを繰り返しますが、どちらが悪く、どちらが良い、ということを言いたいのではありません。

どちらの方法にも魅力と注意すべき点があり、また個人によって向き不向きがあります。

大事なのは、両方のやり方を知っていて、どちらが自分のやってみたいものかを考え、選ぶことができる、ということです。

色々なアプローチでピアノと、また音楽と向き合いながら、自分の力で素敵な発見ができるようになると良いですね!

 

 

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音楽教育学とピアノレッスン

2021.6.6

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